2021-06/23 故障を乗り越えた自分

Hiryuブログ

こんにちは。香山です。
久しぶりのブログ更新です。毎回読んで下さっている方々、いつもありがとうございます。

今回はここ1年の記事の中で一番ポジティブな内容なのではないかな、と思っております。いつものように結論から書きますが、僕を苦しめていた故障(右脇腹の痛み)がとうとう“完治”した事をお知らせします。

この表現の仕方は非常に不安定というか、確証を伴うものではないので悩みましたが、敢えてこの言葉を選びました。約1年。結局大きな原因は掴めぬまま、憶測の範囲内で決着がつく事となりました。
また痛みが出る事もあるかもしれませんが、その時は冷静に向き合って付き合っていくだけだと思います。

少なくとも今回は、自分の限界まで力を出し切れるのは本当に幸せな事だな、なんて感情を交えつつ、故障に悩む香山飛龍と、いったん決別しようという内容です。全てをクリアにして、また進んでいこうと思います。ぜひ時間がある時にご一読頂ければと思います。


原因、憶測の範囲内の要素


僕の故障に関して言える事は、複数の要因が重なって発生したという事。これは間違いないです。大まかにまとめると

①身体の歪み、蓄積された疲労(セルフケアできない部分の積み重なり)
②変則的なトレーニングによるダメージ(コロナ初期のローラー・体幹トレーニング)
③ストレス(チーム関係の精神的要因・コロナによる不安定要素)

といったところでしょうか。以前の記事でも常に触れた原因が、より確実視されてきたような感覚です。

①に関してはU23一年目のフランスでの活動期によるものだと考えています。この年は初めての事をたくさん経験した、これまでにない美しい年だったと振り返ります。しかし、僕の言語能力や判断力は完璧には程遠く、その結果身体を診て貰うという重要なアクションを後回しにし続けてしまいました。

セルフケアは高頻度で取り組んでいたし、ステージレースになればマッサージも受ける事が出来たので、フランス語が流暢ではない自分は見て見ぬふりをしてしまったのです。今思えば何てことを・・とすら思います。僕は高校1年生の頃から2週間1回お金を払って身体を診て貰っていたので、その背景からも今となって失望と疑問は残ります。

その結果、容赦なくハードなシーズンを進めるにつれて徐々に身体は固くなったり、歪んだり、悪い方向に進んでいったのではないかと推測します。

そこに上乗せするようにコロナによる変則的な生活が始まります。帰国するか、フランスに残るか。トレーニングは既にローラーと体幹トレーニングのみになっていました。帰国してからもそれは変わらず、適正年齢の焦りからvo2maxのトレーニングを中心に鞭を打ち続けます。

あの時よりは強くなった今だからこそ思う、やりすぎという状態でした。(厳密には回復日は設けていたものの、その頻度が低く、対して連続する高強度のトレーニング頻度が高すぎた。)

体幹トレーニングに関しては教わったものを週に3回程、1時間~1時間30分程度のセッションとして取り組みました。しかしコロナ渦・家の中という環境故にコーチ・先生に見て貰う事はしていなかったので、今思えばフォームも間違った癖がついたり、狙いに沿っていない使い方を繰り返していたのかもしれません。

これも上記、フランスの整体・整骨院に重なる話で、教えて頂いたコーチ・先生に定期的にオンラインで診て貰うなど対策は取れたはずだと思いますが、後の祭りでした。

この時期からはコロナの影響も受け、チーム内でのゴタゴタ、理にかなわない事にも巻き込まれるようになります。厳密には自分も活動しているのだから受け身なのも如何なものかと思いつつも、一番わかりやすい表現を選んでいます。

こういった一連の流れを汲んでからのシーズン再開となる6月のレースで、僕の身体は壊れてしまったのではないかと思います。公開している記録にも残っていますが、僕はそこから約1年、ろうそくのような時間を過ごしました。
大袈裟に感じるかもしれませんが、落車もなく、いままで故障がない人生の中、いきなり原因不明で活動に影響が出るのは耐えがたいものでした。

競技の世界で生きていく上で自分の理論の元高校・大学を取捨選択した僕にとって、U23のこの時期に“走れない”“復帰のめどが立たない”というのは、皮肉にも自業自得とも言える、大きな精神的ダメージだったのです。

当時は悩むことが増えた 📷:miharu tokuyama


落ち続ける経験


努力を続ければいつか報われる、どんなトンネルにも終わりはある。

そんな言葉を意識し始めたのは、故障を発症してから3ヶ月ほどたった時期だったと思います。色々なアクションをして、色々な方々に身体を診て頂き、データを取り、全てを統括した答えが「原因不明」。症状は規則性があるようで不安定、痛みは我慢しても半分以下パワーに落ちるほど。(我慢できずにバイクを降りるしか選択肢がないこともあった。)

毎日故障と将来の事を考える。バイクに乗るのは好きだけど心のどこかで怖い。

症状が良くなりつつある時ほど、痛みが出る事を恐れて、「このまま治りますように」なんて心の中で祈る日々。勿論そんな願いは打ちのめされて、当たり前のように右脇腹は痛むのでした。

僕の心の変化はこの辺りから急速に悪化を辿ります。

とうとうオフシーズンになる頃には、朝起きる事も、ベッドから出る事も、朝ごはんを食べる事も億劫になります。堕落した生活…になるのならまだマシだったと思います。違う仕事や違う人生を調べる事に喜びを覚え、自転車に乗ったかと思うと、15分走って、1時間川を眺めて帰るという始末。

勿論、山梨の方々にお世話になったように、積極的に奮起し、合宿のように乗りこめる時もあるのです。

恐らく躁鬱に近い、そんな精神状態でした。5時間トレーニングに励んだかと思えば、ぐったり無気力にネガティブだけの日もあります。それだけ、治る目途がない故障とチーム関連の人から心無いメッセージが飛んでくる日々は辛かった。その中で同時に親身になってくれる方々がいたのも事実で、唯一救いのように感じました。

本当に多くの葛藤の末、僕は12月の最後で当時のチームを退団。フリーとして心と身体を回復させることを最優先にしよう、少し自分を追い込むルートを進みすぎた、と一時停止するような思考に至ります。

死ななきゃいい、毎日小さな幸せでも見つければいい。そんな心持ちでもありました。ここでも大袈裟と受け取られてしまいそうですが、僕の心身はダメージを受けていて、今のポジティブな状態からは想像すらできなかったような心境でした。

そしてすっきりしたような、本質的には将来の不安は変わっていないような、何とも言えない気持ちの新年を迎えます。


心のどこかでは闘志は生き続ける


そんなある日、僕は母の情報の元、地上波で放送された弱虫ペダルサイクリングチームの映像を目にします。挫折を経験しながらも、夢を諦めない。そんな内容に、諦め始めていた僕の心は動くのでした

こんな遅いタイミングの申請。ダメ元で、無理なら諦めよう。その変わり、最後に熱意はぶつけてみようと、全く面識のない佐藤GMに直接メッセージを送る自分がいました。温情か恩情か。僕は奇跡的にも温かく迎え入れて頂くことになります。

ここが確実に、ひとつの転機だったと振り返ります。刺激をくれるチームメイトにも支えられ、少しずつ前を向き始める自分がいました。みんな物凄く強い。負けたくない。自分が強いわけでもないのに、闘志みたいなものは想像以上に早く復活しているのでした。

それでも故障はすぐに治るわけでもなく、精神面の回復も少しずつでした。

泣くことはありませんでしたが、弱いのでレースが楽しく感じなかったり、色々な事が想像以上にハードに感じて「引退する!」と家族の前では嘆くこともよくありました。(今思うと本当に本当に情けない。笑)

治ったと思っても再発したり、レース中何の問題も無かったのに中盤に入るタイミングで発症してDNFなんてことも記憶に新しいです。なんなら5月までは症状が出る事もありました。

しかし、高校の頃からお世話になっている麻生スポーツ理学センタ―様によるリハビリ、弱虫ペダルサイクリングチームとしてサポートして頂いているENNEスポーツマッサージ治療院様、つくば竹園整骨院様による周計2回以上の施術が、僕の身体が良い方向に進むように修正してくれたのは紛れもない事実で、徐々に症状が出る頻度は劇的に低くなっていきます。

身体も心も、時間をかけて正しい方向に進み、症状が出る頻度は少なくなっていきます。

そしてついに、日々のトレーニングは勿論、5月群馬csc、Tour of japan、6月群馬cscと痛みなくフルガスで走ることが出来たのです。何度も投稿に書いたようにこれには感無量、喜んでも喜びきれないような気持ち、幸せを感じました。

パフォーマンスもトレーニングとレースを重ねるごとに戻ってくる。寧ろ追い越して、成長していく。前を向いて、これからが楽しみになる感覚。
この進むような気持ちで競技に打ち込むのはu23一年目のフランス生活ぶりなので実質2年ぶりです。大袈裟にも僕はプロを目指すアマチュアとして復活したのでした。

悔しい内容でも、走れる事には対する嬉しさは隠せない 📷:Kensaku Sakai


進路変われど、学ぶことは多く


僕が最初計画ていた通りであれば、本来僕は今頃フランスの地で、ハイレベルなアマチュアレースを転戦していたと思います。ヨーロッパでプロになる目標に対して、常に動いてきて、努力をして、その結果日本のアマチュアチームで走っているのだから、挫折と言っていい状態にあるとは思っています。

しかし、全日本チャンプの入部さん筆頭に色々な武器と経験、思考を持つチームメイト・チーム関係者に囲まれて、現実として僕は揉まれるばかり。蓋を開けてみればレースに対する細かい事も、私生活における常識的な事も、何から何までもが勉強なのです。

フランスでの1年が僕の中の概念、思考回路、視野を大きく変えて、充実させてくれた。

2年目での苦い経験が、僕自身を客観的に見たり、他人の思考や全体の流れを読み解く際の鋭さを磨いてくれた。

3年目となる今はもっと基礎的な部分からしっかり埋めて、人として必要な思いやりや、意見を受け入れたり、柔軟になる為の事を学んでいる。

僕はこの競技とその周りの人々から影響を頂いて成長したり、色々な経験を積んでいると改めて思います。強くなりたい。上に行きたい。でもその中で大切な事は見失いたくないし、常に思考を貪欲に磨き続けたい。

困難な目標達成に対しての想定や、計画はうまく行かないことの方が多い。しかし、自分で決めて歩むことが財産となる。その結果どうなっても満足する。そんなニュアンスのアドバイスを有難い事に今までの人生何度か受けてきました。

それを体現するかのような3年を過ごして思うのは、その体験をこれからの人生にどう活かしていけるか。まだ未知な事にぶつかったとき、どう生き続けるか。ぶつかって苦しんでいる人に、どう手を差し伸べるか。

そんな事を頭で考えつつ、日々鍛錬を積んでいこうと思います。
心身ともに積めるようになったのだから、妥協せず進んでみます。

ずっと応援してくださっている方々、面倒をみてくださった(くださっている)方々、治療に携わって協力してくださった方々、本当にありがとうございました。家族含め、そういった方々の言葉が、復活の力になった事は言うまでもございません。これからも未熟な私ですが、引き続き応援して頂ければ幸いです。

香山 飛龍

📷:Kensaku Sakai
📷:弱虫ペダルサイクリングチーム
📷:弱虫ペダルサイクリングチーム

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